美貴がどれほど美人だったとしても、少なくとも正志は彼女をこれまで恋人にしたいと思ったことはなかった。吉田靖子に対する気持ちと同じで、美貴はあくまでもただの後輩であり、彼にとっては決してそんな対象にはなりえなかった。先輩にとってはどんな後輩でもかわいいと思うのが当然で、そのような意味において、彼は美貴をかわいいと思っていた。少なくともつい先日まではそうだった。
ところが、彼は美貴と一緒に靖子の家に遊びに行ったことで、美貴のことがかなり気になり始めていた。そして、さらに追い打ちを掛けるかのように、美貴のことが好きなんでしょ、と靖子に指摘されてからは、どうしても意識せずにはいられなかった。だから、昨晩電話した時はすでに、彼は何かが起きるのを少なからず期待していた。
狭い部屋に男と女が二人でいて、何が起ころうとも不思議はない。運よくいけば、そのまま泊まることになるかもしれない。いや、運や偶然に任せるのではなくて、チャンスというものは自分で作り出さなくてはいけない。そういう魂胆が自分の心の片隅に潜んでいて、刻々と膨らんでいく様子を彼は密かに楽しんでいた。
美貴の家は駅より海側だった。靖子の時と違って殺風景な景色の道路がずっと続いた。正志は山と海のコントラストを持つ神戸の風景が気に入っていた。だから、ビルの建ち並ぶその景色さえそれなりに鮮やかに見えた。
彼女のマンションは広い通りを少し入ったところにあった。正志は部屋に入る時、靖子の時以上に緊張を隠せなかった。何しろ今回は二人っきりだった。美貴の部屋はあまりかたずいていなかった。掃除しようと思ってたけど急だったのでできなっかた、と彼女はちょっと言い訳をした。でも、飾ってあるぬいぐるみとか、ピンク色のカーテンとか、おしゃれな鏡台とかがいかにも女性の部屋らしく思えた。
「女性の匂いがする」
と正志は思わず変なことを口走ってしまった。
「女性の匂い?」
「あっ、いや。化粧の匂い」
「お化粧は匂いなんかしませんよ。それより相談って何ですか?」
彼は知恵を絞って昨晩必死になって考えた相談内容を話した。相談自体は彼の予想以上に中身の濃いものとなり、かなりの時間を費やして大成功に終わった。すっかり美貴の態度も軟化していた。その様子を見て、正志はほっとしてため息をついた。
その後二人はたわいもない話しで盛り上がり、時が経つのも忘れた。ちょうど9時を過ぎた頃、美貴が作ってくれた買い置きのミートスパゲティを二人で食べた。そして、その後しばらくは楽しい話しが続いていた。
「今晩泊まっていってもいいだろ?」
正志は何度となく喉元まで出そうになっては飲み込んでいた言葉をとうとう切り出すことに成功した。それが本気とも冗談とも取れるように響いたのは、実際に彼がそういう口調でしゃべったからだ。
彼はアクションは起こしたものの、傷つくことにはいまだに臆病だった。彼は今まで、冒険をして自分を傷つけるくらいなら最初から冒険をしないほうがいいと考えていた。しかし、目の前の美貴を見て、今夜は少し冒険をしてみたいという気持ちを抑えることができなくなっていた。だからアクションを起こした。ただし、冒険というのは常に自分を傷つけにくい方法でしなければならない思って、彼はずる賢く予防線を張ろうとした。