すると、すぐ横にいた妹の和代が割り込んできた。
「女のところと違う? 最近急に外泊が増えたもん」
「何言ってるの。積極的な和代と違って、奥手の正志がそんなことあるわけないじゃないの」
と母親はかなりばかにした様子で言った。
「そう、女のところ」
正志はそうつぶやきながら玄関を出た。だが、恐らくその言葉は母親の耳にも和代の耳にも届かなかったに違いない。彼はこれほど情けない気分になったことはなかったが、その反面、家族の知らない秘密があることが嬉しくなった。彼は今晩のことをあれこれと想像しながら大学へ向かった。
実は正志は本当に、今晩また美貴のところへ泊まりに行くことになっていた。と言うのも、昨晩彼は彼女に電話してそういう提案をしたのだが、なぜか意外なくらいすんなりとその場で話しがまとまったからだ。
「明日ですか? わかりました」
と言って、美貴はあっさり承知してくれた。
大学での講義はほとんど集中できなかった。正志は何度となく、今晩美貴とのあいだに起こるであろう何かをいろいろと想像していた。もしかすれば自分は小説家になれるんじゃないだろうかと思うくらい、彼は何通りものストーリーを描いていた。
その日の晩、辺りは一段と静まりかえっていた。時々、車の走り去る音が微かに聞こえてくるだけだった。部屋の電気は消えていたが、窓から明かりが射し込んできて、そう暗くはなかった。
正志は美貴を抱く手を少し緩めて、彼女の表情に目をやった。ほんのりと浮かび上がってきた彼女の顔は相変わらず無表情だったが、視線はしっかりと正志をとらえていた。そしてこの時、二人の視線はまるで一本の糸に引かれているかのように動かなくなってしまった。
正志は美貴の方から早く視線をほどいてほしいと思った。しかし、美貴は正志を見つめたままでほどこうとはしなかった。時計の針が刻々と秒を刻んでいった。正志にはもう我慢できなかった。彼は思わず自分から目をそらして、大きく数回息をした。それはあまりにもぎこちない動作であった。彼はもう一度美貴を見た。彼女はさっきと同じ瞳で、正志をじっと見つめていた。
「本気になってもいいのか?」
「・・・・・」
「本気になったら困るだろう」
正志はそう切り出した。さっきから二人のあいだには不思議な空気が漂っていた。この空気に触れている限り彼は、どんどん美貴のことを好きになっていく、そんな気がして心配でしかたなかった。彼はそんな雰囲気をなんとか打破したいと必死で頭を回転させた。
もしも彼女が、どんな理由にせよ
「それは困ります」
と言えば、彼はこう言い返そうと思った。