いつのまにか朝になっていた。二人とも一睡もしなかった。感情の高ぶりが眠気を追いやってしまった。結局、正志は美貴に何もしなかった。ただ、一晩じゅう彼女を抱き締めていただけであった。
美貴は布団から出ると、朝食のしたくに取り掛かっていた。正志は台所に立つ彼女の後ろ姿を見て、急に不安になった。つまり、また前のように、あまり愛想のよくない美貴に戻っていないか不安な気持ちになってきた。
美貴は正志の視線を感じて、手を止めるとしゃべり出した。
「先週の夜のことはてっきりその場限りで忘れてくれると思ってた。だから、まさか二度も泊まりに来るとは思わなかった。本当にずるい人なんだから」
彼女にしては珍しく言葉の語尾が甘えていた。さらに彼女は続けた。
「今だから言うけど、ついこの前まで小川さんのことなんとも思ってなかったんです。それなのに今月に入ってからなぜか急に小川さんのことが気になり出したんです。そうそう、小川さんが夢に出てきてからです。夢の中で、なぜか私と小川さんが泉のほとりをデートしていて、二人は菩提樹の木陰でキスをしたんです。目が覚めてから、どうして私がよりによって小川さんとキスをしなければいけないのと考えていたら、何か妙に意識し始めて、そのうち好きだと気づいたんです。でも、迷っているんです。前から他につきあっている人がいるし、小川さんへの想いがずっと続くか自信がないんです」
彼女にしては珍しく長々としゃべった。正志はその言葉を聞いて、さっき以上に不安になってきた。と言うのも、サッカー部のその男と比較すれば、自分には勝ち目がないと彼は思ったからだ。二人の恋の結末のシーンが一瞬彼の頭をよぎった。だから彼は、これ以上進まない方がいいのではないかと思いもしたが、とりあえず今は、チャチャの力を信じて、美貴が自分の方を向いてくれることを祈ろうと思い直した。
昼の12時を過ぎた。二人は家を出てサークル室に向かうことにした。今日は定例のミーティングのある日だったからだ。外は思ったよりも暖かだったが、時々吹く風が枯葉を舞い散らせ、冬の到来を感じさせていた。
正志は二人並んで歩くのには少し抵抗があった。かと言って、別々に歩くのもちょっと白々しい気がした。途中で誰かに出会わないだろうか。もし誰かと出会ったら何と説明しようか。サークル室に入っていく時、他のメンバーに対して平静をよそおっていられるだろうか。そして、ミーティングの最中に美貴に対して先輩として接することができるだろうか。彼は歩きながらそんなことを心配していた。
一方美貴は、何かを気にする様子もなく、どんどん前に進んで行った。前方には六甲の山並みが力強く佇んでいた。正志は眠っていないせいか、頭がぼうっとして体じゅうがやけにだるかった。それにも拘らず、気分だけは爽快に弾んでいるような気がした。
サークル室に着くとドアに貼り紙があって、本日予定のミーティングは部長の都合により急遽延期となりました、と書いてあった。正志はその時ちょっとほっとした。そして、真面目に講義に出ようと思い、その場で美貴と別れた。
正志が次に美貴と会ったのは、その翌日のサークル室の中だった。彼が部屋に入ると、美貴と靖子が現像してきたばかりと思われる写真をちょうど見ていた。
「そうそう、この景色。やっぱり北海道はいいよねえ」
そう美貴がしゃべり出したので、靖子ものぞき込むようにして言った。