「そうだなあ。当分終わらないと思う」
「でも、こんなに近くに住んでいるのに、ちょっとくらい会う時間あるでしょ」
「そりゃあ、まあ、そうだけど。今ちょっと取り込んでいるからまた電話する」
正志は後ろめたさを感じながらも、そう言って電話を切った。彼はこんなことではいけないと思ったが、とりあえず今は曖昧な応対をするしかなかった。彼にはまだ気持ちの整理ができていなかったからだ。
その翌日からは、正志はもう自分の方から電話することはなかった。陽子の方から誘われても、正志は適当な理由を作って断わり続けた。そうしてるうちに、彼の心は少しずつだが着実に固まりつつあった。
正志と守山陽子の恋愛は、実に自然な形で発展していった。一方的に相手が積極的だった靖子の時よりも、お互いに忘れなければならない不思議な関係だった美貴の時よりも、15歳も年上で過去に影を持つ麗子の時よりも、きっと自然な関係だったに違いない。もしも、あまりにも平凡がゆえに正志が燃え上がれないのだとすれば、平凡を望んでいた彼にとってそれほど皮肉なことはなかった。
もちろん正志は陽子に対して何か不満があったわけではない。しかし、彼女は自分の理想とはかけ離れているような気がしてならなかった。そこで正志は自分の理想を頭の中に描こうとした。そして自分の理想はたぶん麗子だろうと思った。麗子の美しい顔も、きれいな髪の毛も、おしゃれな洋服も、身につけていたアクセサリーまで、今でもはっきりと思い出すことができた。正志は今になってようやく気づいた。夜寝る時に陽子の姿が目に浮かんだことが一度もなかったことに。そして、会っていない時にすぐにでも陽子に会いたいと思う気持ちが沸き起こったことが一度もなかったことに。
夜のベッドで雨の音を聞きながら、正志はこれからどうすべきか迷っていた。麗子の面影を抱いてこのまま生きていくわけにもいかなかった。そして、冷めた気持ちで陽子との恋愛を続けていく自信もなかった。夕方からの雨がようやく止んだ頃、正志は少なくとも陽子とはすぐに別れようと決心した。
今月は恋愛運がいいはずなのに、結局は失恋ばっかりじゃないか。一体どうなっているのだ。せめてチャチャに文句の一つくらいは言ってやりたい。その時チャチャはどんな顔をするだろうか。その時チャチャはなんと言って慰めてくれるだろうか。
正志はパジャマのポケットから例の水晶玉を取り出して、両手で強く握り締めてみた。とても暖かく感じられた。ところでチャチャはどんな顔をしていたかなあ。正志はふとそんなことを考えた。そして彼は、チャチャに出会った晩のことを目をつぶりながら思い返した。すると、チャチャと話した内容はもちろん、チャチャの顔や服装や声だけでなく、あの晩の情景全てが今ありありとよみがえってきた。
「チャチャはかわいかったなあ」
正志の口からふと独り言が漏れた。握り締められたままの水晶玉はいつのまにか彼の胸元に抱き寄せられていた。彼はずっとチャチャのことを考えていた。
「チャチャに会いたいなあ」
再び彼の口からそう発せられた。彼は一瞬自分の耳を疑った。しかし、それは間違いなく正志自身の口から放たれた言葉だった。
「俺は今なんと言った? チャチャに会いたいと言った?」